大阪市政調査会
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「支え合い」と「現場力」

宮本さん 宮本太郎 お三人のお話をうかがっていて、浮かんできたのは月並みですけれども「支え合い」という言葉です。現代社会のなかで、そうした家族や地域の自然な結びつき、助け合いというものが育っていくためには、いまのお話にでてきたような「支え合い」がいる。よく誤解されていることなのですが、北欧の福祉社会というと、公的なものがすべて地域や家族のつながりの代わりにやってしまっていて、便利かもしれないけれども冷たい社会というイメージがあります。ところが実際の社会をみていると全然違っていて、家族や地域の結びつきを生かすためにこそ何かやらないといけないという発想なのですね。
 たとえば非嫡出子、未婚で子どもが生まれてくる割合をみると、スウェーデンでは第1子に関しては57%です。すると、そらみたことか、もう結婚制度が壊れているじゃないかということになる。ところがよくみてみると、たしかに結婚制度そのものよりも同居的な婚姻のかたちが重視されているのも事実なのですが、第2子、第3子になるにしたがい結婚している割合が増える。これはいわば「お試し婚」なのです。この女房、この旦那とはたして死ぬまで一緒にやっていけるのだろうか。おそらくこの会場のなかでも確信をもてない人がけっこういると思うのですが、そのあたりの見切りをつけるためには時間がかかるし、いろいろ工夫がいるということです。スウェーデンでは、もう大丈夫だろうというところで籍を入れたりする場合が多いということです。
 また、老親、実の親でなくてもいいのですが、自分にとってかけがえのない人の死を前にして、「看取り休暇」という一緒にいる期間を40日間、所得の8割を保障して提供する。さらに、子どもが産まれたら「育児休暇」が490日間、従前所得の8割を保障して提供する。そういう意味で、家族関係や地域的なつながりを活かすために「支え」がいるという考え方です。それでも、スウェーデンだからできるという発想が、おそらく皆さんのなかにはあるのでないかと思います。なぜならば、スウェーデンは他の北欧の国々と並んで特殊な例であって、たまたま公共セクターが市民からそれだけの信頼を得ることができたのではないかと。
 じつは日本でも調査をしますと、「大きな政府」に頼りたい、何かサポートしてほしいという人の割合は非常に高い。しかし、助けてもらった経験が十分にないから信用できない。助けてくれるならばお金を払いたいけれども、まだサポートが届いていないから、税金が捨て金にみられてしまうような社会になっている。少しずつ心にあるいはニーズに届くサポートを積み重ねることで、スウェーデンとまではいかなくてもいろいろ方法はあると思うのです。それはさきほどのありむらさんのお話でも明らかです。
 私は、最近スウェーデンに行くと、その帰りにイタリアに寄ることが多いのですが、それはたんにイタリア料理だけが目当てではないのです。イタリアにはイタリア流のいろんな面白さがあって、スウェーデンが何から何まできちんと設計されている国だとすれば、イタリアは社会全体の設計がちゃらんぽらんな国です。だからどういう力が育っているかといえば、いわゆる「現場力」です。たとえば、ミラノ駅で夜、改札口にならんでいると、人がいっぱい押し寄せているのに改札口は2つくらいしか開いていないわけです。長蛇の列で電車の出発時間も迫っている。列の最後尾にいる人は乗り遅れることが明白である。どうして他の窓口を開けないのかというのがスウェーデン的発想ですが、イタリアの人は諦めていますから、内部で解決しようとするわけです。つまり、列の最後尾にいる人たちが、自分の列車は出発時間が迫っているので何とかしてほしいというと、そうかそうかということで、ちょっと順番を変えようという対話がはじまって自治がはじまる。お上がちゃらんぽらんで社会の制度設計がいい加減、これは日本に近いと思います。そういうときに「現場力」というのがでてくるわけです。
 “ありむらワールド”も「現場力」の世界ではないかと思います。失礼ないい方かもしれませんが、冷蔵庫を開けてみると残り物はかぎられている。しかし、かぎられたもので何かをつくらなければならないというところから出発して、しかもちゃんとできている。もちろん、中央政府が公的な責任を果たすべきことについて要求し続けなければならないわけですが、「支え合い」というものは「現場力」でも相当なことができると思うのです。
 福原 パネリスト3人のお話と宮本さんからコメントもいただきました。少し共通した議論があったかと思います。それらを集約するものとして、宮本さんが提起された4つの橋のお話があると思います。橋を架けるというのはある意味「支え合い」であり、これは当事者同士・家族・地域、そして当事者と行政、そういったさまざまな橋の架け方もあるかと思います。そういった議論を踏まえて、今後のあるべき活動の課題を、行政に対する問題提起もふくめて、2順目の発言をお願いします。

地域のつながりこそ核心

 ありむら 本当に「現場力」だけでもっているところがあると思っています。大阪らしいともいえるのですが、逆にいえば大阪市行政がいかに効果的なかかわり方をしてこなかったかということであり、だからそのあたりはずっと残念に思ってきました。その典型的な例は、いまだに生々しいのですが、住民票を大量に職権消除した出来事ですよね。あれは本当に社会的排除そのものです。現場では長年何も問題なく行われてきました。問題があるとすれば3500人という数字になる前に、市行政が東京都のように代替施設をここに置きましょうというかたちでやってこなかったということだけが問題であって、それ以外のことは何ら問題がなかったはずです。しかし手のひらを返したように職権消除し、社会的排除に走った。おかげでいまだに住民票をとれない人たちがいます。住所を簡易宿泊所に置けばいいといいますが、1泊や2泊したからといって置けるものではない。そうすると運転免許の取得や更新もできないし銀行口座もつくれない。ますます生きづらくなっていくわけですよ。とにかく止めていただきたい。そうしなければ、少なくとも釜ヶ崎では官民協働などという話には絶対になりません。
 人とのつながりがいかに大事か。別の例をもう少しいいますと、たとえばAさんは団塊の世代で、日雇労働者として働いてきました。現在は高齢者特別清掃事業で一月に3、4日働いて2万円くらい稼いで野宿しながらようやく飯が食える状態です。彼にとっては特別清掃事業が他人との唯一のつながりの場であり、このまま齢をとっていけばもっと孤立し、野宿生活と社会的入院を繰り返すことになっていきます。そうなればたとえば病院なら1人に一月四十数万円の金額が必要となります。それに対して、地域のサポートのネットワークに何らかのかたちでつながっていたために、たとえばBさんは60歳を超えても、半就労+半福祉のような生活をしながら、地域につながったままの生活が継続でき、さらに齢を重ねて生活保護を全面的にうけるようになっても、地域のなかで安定した生活を送ることができる。AさんとBさんはどこで分かれたのでしょうか。もちろん本人の他者とのコミュニケーション能力によるところもあるかもしれませんが、それは本当にちょっとしたきっかけです。あるちょっとしたきっかけで地域に何らかのつながりができ、そのつながりが雪だるま式に膨れ上がっていく人と、何もつながりをもてないままにさらに孤立化していく人との分かれ目は、本当にちょっとしたことである。地域のさまざまな高齢者をみていてそんな感じがしています。

不十分な情報発信

 住友 私は、子どもたちの現状に対して、大阪市の担当職員の方々に、「皆さんは本当はどうしたいのですか?」と聞いてみたいと思っています。これからどうすればいいのか、私自身も迷うことがいっぱいあるのです。でも、それ以上に市職員の皆さんはどうしたいのかということを聞いてみたい。どうしたいのかという情報発信をすれば、NPOのなかにも研究者のレベルでも協力しましょうという人がいるかもしれない。今後の青少年施策については、逆に大阪市側から「困っているから助けてくれ」という情報発信からはじまるものもあるのではないのかと思います。
 また、大阪市の少子化施策、たとえば次世代育成支援の行動計画などのなかには、地域社会で支え合うネットワークづくりとか、子育てを支え合うまちづくりに取り組むといったことが記載されています。立派な行動計画はできるのですが、その後その計画はどうなったのかということがいつも気になります。計画をつくるところまでは、市民にもNPOの人たちや研究者にも参加してもらい、多様な意見を出し合ってつくって、いい計画ができてよかったということになるのですが、そこで終わっているのはもったいない。皆でわいわいがやがやと計画づくりをすることも楽しいのですが、「ほっとスペース事業」の運営協議会にかかわらせていただいて一番よかったと思うことは、子どもの具体的なケースについて、市職員とNPOの人たちそして私など、それこそいままでお互いにあまりかかわり合いのなかった人たちが、ともに何かをする経験を積むことができたということなのです。だから「青少年会館条例」の廃止には、せっかくはじまっていた市民と行政の協働の経験をぶち壊しにされてしまったという、たいへん残念な思いがあります。
 さらにいえば、子どもに関する施策を変更する場合は、子どもたちに対しても説明する責任があるのではないのか。どうして施策変更が行われるのかということを子どもたちにもわかるように説明してほしい。彼ら彼女らも大阪市の市民です。会館の利用率が低迷しているなどというけれど、子どもたちには「でも僕らは毎日きているぜ」という声があるし、一連の不祥事があったからといっても「それは大人の問題じゃん。なぜ僕らの居場所が失われるわけ?」という子どもたちもいる。これらは子どもたちの側からのみごとな反論だと思う。それに対して大阪市の上層部の方々はどのように答えるのか。窓口で何度問い合わせをしても返事は返ってきません。

当事者性にたった取り組み実践と自治

 上野谷 阿倍野区の障がい者施設が計画より10年遅れでつくられました。10月1日、明日開設いたしますけれども、近隣住民の反対運動があり、その旗がいまだに立っています。そういう町会・自治会に対して、地域福祉とはいったい何なのかということを社会に問えない社会福祉協議会と福祉関係者。個別には問えても、パワーをもって、ビジョンをもって異なる存在をきっちり認めて環境を整えていくことは難しい。しかし具体的事象で協働が活かされないと。私も阿倍野区民ですので、「福祉環境を考える会」という会をつくって、月1回夜に中学校の教員や社会福祉協議会の職員、市役所・区役所の職員、職員労働組合の阿倍野区役所支部の人たちの支えで5年間続けてきましたが、本当に孤立していきます。私などは自由業ですし、何をいわれてもびくともしません。しかし障がいを抱え、さまざまな生活困難を抱えている人たちは本当にいたたまれないと思いますね。そういうことに対して、青少年会館の話にもありましたが、ビジョンを共有するためには徹底的なフォーラムですね、徹底した対話をしないといけないと痛感しています。
 さきほどのスウェーデンの話ですが、1982年の社会サービス法以降、家族支援の問題がでてきました。しかし、それは日本のようにケアの担い手としての家族への期待と支援では決してなく、宮本さんがおっしゃったように家族であり続けるための支援です。家族的なるものといったほうがいいかもしれません。愛し合ったり憎み合ったりする家族、もちろんそれは同性同士の家族でもいいわけで、そういう家族的なるものを支援するためのプログラムなのですね。しかし日本語に翻訳すると、それは家族介護者への含み資産としての支援というように解釈される危険性があります。決してそうではないということを、情報発信していく必要があります。
 もう1つ、地域と向き合うにはやはり2つのシステムがあると、ありむらさんの話を聞いても思いました。社会福祉のなかで、いままではコミュニティワークなどといって地域を支援するというような方法論を使っていましたが、もうちょっと具体的な地域で起こっている個人の個別の課題を地域の人とともに解決していく。やはり解決してなんぼというものですからね。個人の当事者性を大切にする。しかし当事者は差別され偏見のなかで弱っている、だからこそ専門職やちょっと力のあるボランタリーなNPO法人をふくめて当事者性にたって応援する。こうした取り組みが主導権を握らねばならない時代がまだ10年は続くのだろうと思います。もう1つは、地域づくりの主体はやはり住民ですから、住民自身が自分たちの暮らしやすさをつくっていくという自治ですね。これらの2つが、地域のシステムとしてつくられていかなければ大阪市も非常にしんどい。西成区の「地域福祉アクションプラン」はたいへん苦労しながら、その2つを統合していく仕組みづくりをめざしつつあると評価をしています。そういう取り組みもありますので、大阪市も自信をもって確認しさらに発信していく作業が必要だと申し上げたい。
 福原 ありがとうございました。つぎに、フロアの皆さん方からこれまでの議論を踏まえて、いくつかご質問・ご意見をお受けしたいと思います。いかがでしょうか。

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